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名古屋市美術館 満洲写真全史
アイキャッチ画像 赤羽根海岸の朝焼け
道の駅 あかばねロコステーションから東に延びる遊歩道
早朝散歩の地元の小父さん ジョギングのオネエさんと会話を交しながらロングビーチまで歩く
賀茂しょうぶ園 花は見頃だったが風が強く撮りにくい
豊川 赤塚山公園近くの麦畑
赤塚山公園 キリンという看板が有ったが 随分太く短い首の キリンです
しょうぶ園 花の時期は初めてかも? ここでも風は強かったが 強い風が幸いしたのか しっかりしがみ付いて逃げない
東三河ふるさと公園 管理棟内にあった遊具を屋外に移動作業 「アッ折れちゃったグラグラしている」とか 言いながら
修景庭園
ロックガーデンの西洋シャクナゲが目当てで立寄ったのですが終っていました
展望ツツジ園より
翌朝の岡崎東公園しょうぶ園
水泡
あしのべ池
名古屋市科学館
科学館前に展示されている H-ⅡB型ロケット レプリカかと思って聞いて見ると本物だそうです 意外とキャシャですね と言うと 重いと飛ばないからネ という事でした 想像していたより大きい
名古屋市美術館 異郷のモダニズム「満洲写真全史」
テレビでの紹介もあり また亡き父親が満洲開拓に加わったと言っていた微かな記憶もあり 興味を持って見に行ったのですが想像していた物と全く違った「写真展」でした
期待していたものと全く違った 別の意味で衝撃と感動を覚えました
400枚を超える写真と資料 真剣に見ると疲れます
以下概要文を部分引用
明治38年のポーツマス条約により、東清鉄道の南部支線と炭礦の採掘権を獲得した日本は、明治39年、南満洲鉄道株式会社を設立、本格的な植民地経営に乗り出していきました。満洲については、日露戦争終結の時点から、国民にその存在と意義を知らしめるべく 内地に向けての 弘報活動において、視覚的な写真が宣伝材料として重視されるようになりました。
当初は、記録的な表現であった満洲の写真は 昭和7年の満洲国建国の前後からは絵画的な表現により、赤い夕陽の満洲や 曠野を行く隊商など、日本人が大陸に抱いたロマンティシズムが図像を伴って 配信されました。
しかし、日本の敗戦とともに「満洲国」は13年と5か月で崩壊し、それとともに大陸に寄せられた視線とその写真表現の展開も途絶え、消滅します。「記録」と「表象」、「紹介」と「啓蒙」、さらには「宣伝」へと展開した「満洲」の写真とは、正しく「近代」を記録し続けた写真というメディアの発展をたどるものでもありました
以上部分引用
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